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帰国事業とは何だったのか?

2019年は、在日朝鮮人の帰国事業から60年を迎える年でした。

当コンテンツをご覧になっている方には、「在日の帰国事業って何?」「在日の帰国事業についてもっと詳しく知りたい?」など、様々な方がいらっしゃるかと思います。

在日朝鮮人の帰国事業は、貧困と差別が生んだ悲劇の歴史といってよいでしょう。

当コンテンツでは、在日朝鮮人の帰国事業について詳しく知りたい方向けに詳しい解説をしていきます。

在日朝鮮人の帰国事業とは

https://www.mindan.org/news/
mindan_news_view.php?cate=4&number=25538

在日朝鮮人の帰国事業とは、 日本にいた在日朝鮮人を朝鮮民主主義人民共和国に送還した事業のことです。

在日朝鮮人の帰国事業は、1950年代から1980年代初頭にかけて行われ、特に70年代にその数が集中しています。この期間に 北朝鮮に渡った 人の数はおよそ93,000余名といわれています。またその内、約7,000人は日本人妻などが含まれていたとされています。

帰国事業がおこなわれた背景

http://k-jinken.net/minzokukyoiku/shasindemiru.htm

戦後の在日朝鮮人は、 差別と貧困に喘ぎ、 日本社会の底辺の生活を強いられ、大変苦しい状況下に置かれていました。そのような中、北朝鮮政府は在日朝鮮人に帰国を呼びかけました。

北朝鮮政府には、朝鮮戦争により失った労働人口を補填したいという思惑があったともいわれていますが、日本で大変厳しい生活を送っていた在日朝鮮人にとっては「祖国こそが希望」となったわけです。

また当時は北朝鮮に対してのポジティブなイメージが強く、「地上の楽園」などと宣伝されたりもしていました。

北朝鮮を支持する在日本朝鮮人総聯合会( 総聯 )は、組織をあげて帰国事業を推進する帰国運動を展開しました。

総聯と対立する在日本大韓民国民団は、帰国事業に反対の立場をとっていたため、帰国事業を北送運動と改め、帰国事業を妨害する運動を展開しました。

日本政府の対応

岸信介の「戦時レジーム」は来年も続く

日本政府は北朝鮮からの提案を受け、人道的立場という名目の下に帰国事業を推進しました。一見すると「 居住地選択の自由 」という人道主義の観点からすれば当然のようにも考えれます。

しかし実際には、貧困世帯の多い在日朝鮮人の生活保護などのコストが莫大となっていたため厄介払いしたいだけだったというのが本音だったと思います。そしてこれを力強く推し進めたのが、他でもない安倍晋三首相の母方の祖父にあたる岸信介でした。

日本国と朝鮮民主主義人民共和国の間には国交がなかったため、実質的な実務は日本赤十字社と朝鮮赤十字会によっておこなわれました。帰国事業は日本政府の思惑と利害が一致していたというわけです。

帰国後の在日朝鮮人

「地上の楽園」を夢見て帰国した在日朝鮮人たちでしたが、残念ながら祖国での暮らしは想像とはかけ離れたものでした。

後に脱北者の証言などで、祖国で差別的な扱いを受けたり、移動の自由を制限されたりしたなど実体が明らかになります。また日本の親族から送られた物資も多くは本人の手に渡っていなかったそうです。

帰国事業は1970年代にピークを迎えますが、祖国の状況が日本にも伝わると徐々に帰国希望者が減り、80年代の初頭を最後に、今は帰国を帰国する人は誰もいないでしょう。

帰国事業開始から60年が経過しますが、いまだ北朝鮮に渡った 多くの在日朝鮮人や日本人妻たちが苦しい生活を強いられているといいます。当時の日本社会における差別や貧困が生んだ悲劇的な歴史であるといえます。

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