当コンテンツでは、京都府宇治市にある在日韓国・朝鮮人の集住地区ウトロについて解説しています。
京都の在日集住地区といえば、映画パッチギの舞台となった東九条がよく知られていますが、京都府宇治市にある「 ウトロ 」も有名です。
ウトロは他の地域よりも、日本の韓国・朝鮮に対する植民地支配や日本が繰り広げた戦争の歴史が大きく影響し、現在に至っています。
「 ウトロ 」とは

ウトロは京都府宇治市伊勢田町51番地にあります。そもそも「ウトロ」という地名はどこから生まれたのでしょうか。実はもともとの地名は「宇土口」だったそうです。
戦前この地に飛行場の建設が予定されていました。この建設にあたって多くの朝鮮人労働者が集められ、飯場で生活を送っていました。
当時の朝鮮の人たちが「宇土口」を読み間違え、ウトロと呼んでいたことから、この地名が定着していったとされています。「ウトロ地区」という地名は、あくまで通称であり、正式な地名ではありません。
終戦間際、飛行場は米軍からの激しい空爆を受け、生産が完全にストップしてしまいます。
戦後、飛行場建設は中止となり、行く当てがない元建設労働者の朝鮮人世帯がそのまま当時の飯場に住み着きました。
そして在日集住地区ウトロが形成されていきます。
ウトロの土地問題
ウトロ地区は、日本の植民地支配と戦争の歴史により形成されました。今も多くの在日コリアンの居住するウトロですが、これまで土地の所有権がないとしてとても苦しい生活を強いられてきました。
土地所有者たちが土地の転売を繰り返す中、度々立ち退きを迫られてきました。 また道路も舗装されておらず、水道やガス、電気なども住民自らが解決せざるを得ませんでした。
また残念なことですが近年では在特会などが、嫌がらせの街宣にやってきたこともあります。
これまで土地問題を解決するための取り組みは、ウトロの住民や日本の支援者が中心となってきました。
ところが2000年代に入って、韓国にまでこの支援が広がるといよいよ韓国政府が解決に向け動き出しました。
数年前にも韓国のテレビ番組で紹介され、話題にもなりました。
ウトロの土地を買い取るために国会予算から30億ウォン(約3億6千万円)を拠出することになったのです。
ウトロの街づくり計画とこれから
土地買い取りに向けた当初のウトロ街づくり計画には、ウトロに在日の歴史記念館を建てる案などがありました。
しかし 2006 年あたりから円安ウォン高が深刻化し、当初予定していた広さの土地を買い取りが進まず難航を示すこととなりました。
2020年2月執筆現在では、既にウトロにも団地が建ち、多くの住民が新しい環境での生活を始めているとのことです。
ウトロ地区は特に在日の高齢者が多く住む地域です。中には身寄りのないお年寄りもいらっしゃるといいます。
街づくりにもいろいろな計画があると思いますが、何より住民の生活環境を第一!自らが「 在日のふるさと 」 と呼ぶ場所で老後を平穏に暮らしてほしいものですね。
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